2008年6月6日金曜日

新史 太閤記

司馬遼太郎の「新史 太閤記」を読んだ。

司馬史観と言われる独自の視点で秀吉の人間的魅力を描いていると評価されているものである。
徳川家康との講和で筆を置き、秀吉の晩年についてはほとんど触れていない。

このほかに太閤記には吉川英治の『新書太閤記』、山岡荘八『異本太閤記』などがあり、いずれ読み比べてみたいものである。(文章の一部はWikipedia「太閤記」から引用)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

梅雨時は読書も良いですねー!ブーさんは30歳代に太閤記(16巻?)と徳川家康(24巻?)を通勤電車内で読みましたよ。秀吉は出世のためには何でもやる、出世したら権力を守るためには何でもやる、家康は相手の裏をかいて追い落とすのイメージしか残ってないな!両人共通している点は民のため天下統一と云っているけど真っ赤な嘘でお家を守るため。現在の政治でも変わらない。特に小沢、鳩山を初めとして民主党の議員連中。民主党の支持率は20%程度で国民の80%は民主党を支持していないのに国民は政権交代を望んでいると事あるごとに云って天下を取りたがっている。天下を取るためには何でも反対するなど手段を選ばないのも似ている。秀吉、家康の生き方はブーさんにはもおー関係なくなってしまったなー!!!死に際だけは真似できるかなー!!

一期一会のフォトライフ さんのコメント...

ブーさんも読書家だったんですな。(失礼!今もそうなんでしょうが)
昨年読んだ徳川家康、今回の秀吉に共通して言えることは小説家はやはり本人を美化というか、醜いところは隠して進めざるを得ないということではないでしょうか。あまりさらしすぎると読者が離れてしまう恐れがあるでしょうから。その辺を我々読者がどう読み解くかということでしょうね。
今の政治も同じでしょうね。きれいごとを言っている裏に何が隠されているか、本音はどこにあるのか読み解く必要があるのでしょうね。
反対ばかりしている民主党。これではいけないと多分彼らも解っているはず。対案を出せるぐらいなら出しているはず。出せないのが現状。政権能力はまだ無いと見るのが妥当。その辺を我々も良く見ておかねば。
今日は一週間ぶりの畑です。